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一章 共生という関係
1.
「師匠!」
血相を変えて食堂に飛び込んできたグレイに、驚いた様子も見せず優雅に紅茶を飲んだ後、エルは「何だ?」呑気な顔で振り返った。
そして、グレイが引っ張っている少女を目にして軽く目を見開く。
「師匠……困ったことになった。あんたの知恵を貸してくれ」
グレイは珍しく頬に冷や汗すら浮かべて、エルに頼んだ。
そんなグレイを面白そうに見ているエル。
「言っておくけど、痴話喧嘩の仲裁は他所を当たってくれる?」
ちゃかすように言うと、グレイはそこで初めて少女の腕を掴んだままであることに気付いたらしい。驚いたように手を離す。
「そんなんじゃない! いいから人の話を聞け!」
真面目に頼んでいるのにこの男はっ。
グレイはイライラしながら事の次第を話した。
「は? 竜を呼ぶ召喚式でこの子を召喚した?」
話の内容に、さすがの天才魔道師も唖然とした。
「どう見ても竜じゃなくて人間の女の子、それもなかなか美人な女性に見えるんだけどなあ」
エルは少女をじろじろと見て、人間じゃない点を見つけようと試してみた。しかしやはりどう見ても人間だった。
少女――キサはエルの視線の不躾さにキッと彼を睨みつけた。
幾ら金髪碧眼の綺麗な顔をした三十代男性だろうと、失礼なものは失礼だ。
『何じろじろ見てんのよ! いいからさっさと夢から起こしなさいよ!』
キサの文句を聞いて、エルは面白いことを見つけたという顔になった。
「あんた、こいつが何を言ってるか分かるのか?」
彼なら普通になんでもこなせるので、分かっていても不思議はないとグレイは思った。
「うん、まあね。これは人間の言葉じゃない。竜語だよ」
「竜語!?」
「そう、一応竜っぽいとこはあったんだね。君も少しは進歩したじゃないか」
「感心してないでどうにかしろよ! こいつ、急に浮島から飛び降りようとしたりして大変なんだ!」
エルは目を瞬いて、キサを振り返る。
『ねえ君、君は自殺志願者なのかい?』
『わっ、言葉通じた! ……は? 自殺志願者? なんの冗談なのそれ』
キサは眉根を寄せる。
「グレイ、どうやら彼女に自殺願望はないようだよ」
「……そうか。それを聞いて安心した」
取り敢えず、ほっと胸を撫で下ろすグレイ。
『ねえちょっと! 無視しないでよっ。私夢から覚めたいんだけど、あんたどうにかしてくれない? 夢の中の人が話しかけてくるなんてファンタジーなセオリーはどうでもいいから』
キサが憤慨して言うと、エルはおかしそうに笑う。
「なんて現実主義者だろうね、この子。すごいよ、ファンタジーなセオリーはお断りだからさっさと起こせだって」
「……それはつまりこれが夢だと思っているということか?」
「だから空を飛び降りようとしたんじゃない?」
「…………」
グレイは沈黙する。確かにそれならあの異常行動も納得出来る。
エルは困った顔でキサを見、穏やかに言う。
『お嬢さん、あなたは夢だと思っているらしいがそれは勘違いだよ。ここの地味男が、召喚術の練習中に誤って君をこの世界に引き込んでしまったらしい』
キサはますます眉を寄せる。
『だからファンタジーはもういいったら』
『やれやれ聞く耳を持たない人だな。これは現実だって言っているんだよ、僕は』
キサは目をぱちくりと瞬いた。
そして意味を悟るなり顔色を真っ青にする。
『そ、それじゃ、これが夢じゃないなら、私はどうなるの? っていうかここはどこなの? 非現実的すぎるあんた達のファンタジーな格好は何!?』
『僕からすると君の方が非現実的なんだけどね。うん、まあ気持ちは分からないこともない。取り敢えず落ち着いて。はい、息吸ってー吐いてー』
キサはエルのペースに乗せられ、無意識に深呼吸をした。すると頭に昇っていた血が少し冷めた。しかし冷静になったところでこの現実をどう受け止めればいいのか。
『いいかな? ここはオルヴィア大陸の北国エズの、大都市イシリアだ。魔道師の国とも呼ばれてる』
『……いしりあ? 魔道師って、魔法使っちゃったりとかしちゃうの?』
『そういうことになるね。ただ君の中の“魔法”と同じかは分からないけど』
『童話や絵本で魔女が人間に呪いかけたりするのよ』
『―――。それはまた直接的だねえ』
感心するエル。その横でグレイは内心どうしたものかと首をひねった。自分が招いた結果とはいえ、魔法陣は間違っていない。呪文も間違った覚えはない。何がいけなかったんだろう。
『取り敢えず、グレイの魔法陣まで戻るよ。そこで君をここに引っ張り込んだ理由が分かるかもしれないからね』
『分かったわ』
キサが頷くと、エルは「よし」とつぶやいてグレイを振り返る。
「ともかく庭に行くよ。行ったところで彼女を戻す自信はないけどね」
グレイは意外そうにエルを見る。
「あんたでも自信のないことがあるのか」
「当たり前だろう? 僕は人間だ。神ですら完璧な存在でないのに、どうして完璧でいられるんだい? それにこんな事例は初めてだからね」
「……そうか」
グレイは押し黙ると、先行をきって庭へと歩みを進めた。
2.
グレイの魔法陣をじっと見ていたエルは、不思議そうに首を傾げた。
「おかしいな。どこも間違ってない」
間違っているのが当然だと言わんばかりの言葉に、グレイはじろりと師匠を見やる。
「ちゃんと本で確かめたんだ、当然だろ」
「それじゃ“言葉”が間違ってたのかな? グレイ、君が口にした文章を復唱してみて」
グレイは頷き、言うとおりに復唱した。
するとエルは目をまん丸に見開いて、頭を抱えた。
「なんてことだ、完璧じゃないかっ。おかしいぞ、これは世界の破滅の予兆か?」
「……そこはかとなく馬鹿にするな」
冷たくあしらうグレイに、エルはあははと笑う。
「だけど困ったね。これでどうして彼女を呼び出せたんだろう? 今日は特に天変はないし、気象も安定してる。第一不可解なのは彼女の“言葉”だ。完璧な竜語だからねえ」
『ねえねえ、それでどうなの? 私は帰れるの?』
相談を交わす二人に、キサは身を乗り出して問う。
二人は顔を見合わせる。
戻せそうにないと言ったら、彼女はどんなに取り乱すだろうか。
しかしそこはエル。あっけらかんと、女性皆が見惚れる笑みを浮かべた。
『うん、結果から言うと、無理だね』
あっさりと放り投げられた言葉に、キサはフリーズする。今、こいつはなんて言った?
『魔法陣も呪文も完璧だ。君がここに来たのは偶然で、神様の悪戯だね』
『…………』
偶然? 神様の悪戯?
悪戯めいた言い方に、キサはだんだん怒りが込み上げてきた。
『何が悪戯よっ! ふざけないでっ!』
『ふざけてない。大真面目だ』
エルは肩をすくめてみせる。が、顔は笑っていても目は笑っていなかった。
そのことに気付いたキサは文句を飲み込んだ。
穏やかそうな外見をしている癖に、なんて冷ややかなんだろう。急に目の前の男が得体の知れないものに見えて、恐怖を感じた。
押し黙ってしまったキサをちらりと一瞥すると、エルはグレイを振り返る。
「何はともあれ、君が呼び出したことに代わりはない。ちゃんと責任を取りなさい。そうだね、彼女の面倒は君がみるように。僕は相談には乗るけど、曖昧なことには力を貸さないから」
きっぱりと言われた言葉に、グレイは少女のことを申し訳なく思いつつ頷く。
「分かっている。あんたに面倒はかけないさ」
一見冷めた師弟のように見えるが、これが彼らにとって普通の在り方だった。必要以上に関わらない。面倒をかけない。そういうルールだ。
(まず、言葉をどうにかするしかないな……)
グレイは師匠の手持ちの本を頭に浮かべながら、今にも泣き出しそうな顔をしているキサに向き直った。
それから、大きく頭を下げた。
『…………』
キサはそれを無表情に眺めた。謝られたところで受け入れるしかないのだ、こちらは。
そしてグレイに促されるままに彼の後についていった。
(ほんとどうしよう……)
突然変わってしまった変化に、ただただ絶望にも似た暗い気持ちばかりが浮かぶキサだった。
グレイは貧しくはなかったが、かといって裕福というわけでもなかった。彼の両親はすでにこの世にはいないし、頼れる親類縁者もいないので、師匠の身の回りの世話をする代わりに給料を貰って生活しているのだ。
もちろんエルとは別々に暮らしている。第一あんな男と一緒に生活するなど、考えただけでも悪夢だ。あんないい加減男の面倒をみていたら、それこそ精神がもたない。
だからグレイは仕方なく、キサをヘリツ通り沿いにある自宅へ連れてくるはめになった。こぢんまりとしたアパートの一階がそうである。
(俺がリビングで生活して、奥の部屋を使って貰うしかないな)
グレイは自室を眺めて、あっさり決断を下した。
一人暮らしではあるが、独身故の哀しさに家事が得意な彼の部屋は割合綺麗だ。自室も殺風景な程片付いている。これなら大方の私物をリビングに持ち出せば、容易に空け渡せるだろう。
そのことを説明しようとして、そういえば言葉が通じないことを思い出す。
それで少女にリビングの椅子を指し示して、ここで待つように身振り手振りで教えた。少女は初め、不思議そうに首を傾げたが、すぐに意味を理解したらしい。こくりと頷いた。
グレイは大きく安堵すると、師匠に竜語の指南書を借りるべく部屋を出て行った。
残されたキサはというと、きょろきょろと興味深げに室内を見回していた。
「ここってやっぱりあの人の家よねえ?」
誰もいないのをいいことに、一人ごちる。
キサは半ばヤケクソな気分だった。
思い出せば思い出す程、さっきの金髪男のことが腹立たしくなってきたのだ。
「いいわよ! あっちがああいう態度を取るってんなら、私だって意地でも帰ってやるわ!」
はっきりいって妙な対抗意識だったが、そう思うとへこたれそうな自身の中に勇気が湧いてくるのが分かった。
人間、怒りが一番大きな行動力をもたらすようだ。例え内容が一方的な逆恨みだろうと何だろうと。
それからキサはばたりとテーブルに突っ伏すと、ううとうめく。
「お腹空いた……」
遅刻しかけたせいで朝食を食べていないのだ。どんな時でも腹が減るという状況は腹立たしいが、人間の三大欲求の一つなのだから仕方がない。
しばらくそうしていると、走る足音が聞こえて扉が開いた。あの青年が帰ってきたらしい。
青年は突っ伏しているキサを見て大いに驚いたらしい。
『おい、大丈夫か? 気分でも悪いのか?』
焦ったように何か尋ねてくるので、キサはお腹を押さえて、食べる仕草をした。
すると今度は呆れた顔になり、さっきはもっていなかった分厚い本をキサの前のテーブルに置くと、両手で待つようにと示し、台所の方に行ってしまった。
少し経つと、何かを焼くような音が聞こえてきた。
「まあ当然よね」
迷惑料はきっちり払ってもらおうと、キサは一人頷いた。